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ふく百話(50)

「ふくと我が人生 5」ふく市場再入社

東京へ飛び出して3年目の秋。将来の展望が見いだせず、このまま東京にいるか否か悩みましたが下関へ帰ることとしました。故郷に帰っても足が向くのは懐かしい魚市場です。叔父の小野英雄からは二度と会社の敷居をまたぐなと言われていました。3年間、一度も会ってもらえませんでした。しかし土谷社長、大石常務からは会社を辞めるときに、君は悪いことをして会社を辞めるのではないので東京でうまく行かなければ、いつでも帰ってこいと言われた恩情の言葉を思い出し、恥ずかしながら再入社させていただきました。昭和50年(1975)、26歳でした。小野から「もう一度、最初からやり直せ」が言葉でした。

前年の昭和49年にふく部門のみ南風泊市場に進出していました。これがなければ現在の下関ふくはなかったと思います。「福岡のふく」になっていたことでしょう。小野英雄の決死の覚悟に立ち会えなかったのは残念でしたが、その後は一心不乱にふくとの仕事に取り組みました。

帰郷した冬に妻の香代子と出会いました。火の山にあるユースホステル同好会でした。香代子は「うに問屋」に勤務していました。年末のことです、香代子から「うに」の展示をするので古い漁網などがあれば探して欲しいと言われ魚市場のトラックで持参しました。私の風貌は痩せぎす、頭は角刈り、足元は雪駄、真っ赤なジャンバー姿でした。本人は格好良いと思っていたのですが香代子に言わせれば、まるでチンピラ。このような人とは絶対に近づきになりたくないと思ったそうです。ある時、仲間の市役所職員から二人が喫茶店に呼び出され中尾さんと松原(旧姓)さんと付き合いなさいと勧められました。その後はグループ交際で仲良くなりました。香代子の自宅へ「ふく刺し」を届けました。私はまだふく刺しが未熟で父が作りました。その刺身を囲んだ時、香代子の母親からこのふく刺しを食べたら中尾さんと結婚するのではと言ったそうです。それから1年後、結婚しました。仲人は兄のように慕い、魚市場に戻ることを勧めてくれた大石常務でした。友昭27歳、香代子23歳。帰関した年末、夏に受験した税理士試験簿記論の合格通知が届きました。2万人受験で合格者2600人、合格率13%でした。東京での3年間が少し報われた気がしました。

時代はバブル全盛期、ふく業界の生産者、魚市場、仲卸人、料理屋、消費地のお客様、誰もが下関ふくのおかげで潤いました。私は深夜1時からの仕事でした。荷役作業、セリ人の横に立っての帳面付、経理事務等、なんでも取り組みました。税理士勉強をしていたので数値への執着があり帳面をつけても誤りはほとんどなく、セリ落とされたふくを数人の仲卸人で分けても次のせりに進む迄にはその個数を確定させました。褒めのことばを仲卸人組合長が小野に伝えたところ、そのようなことは当たり前ですと言っていたのをそばで聞いていました。内心、私は嬉しかったです。ふくのセリ人は代々、社長自ら行っていました。小野はセリを社長がしているようでは会社が伸びないと言って活魚は松村久さんに、締め物は私に担当させました。松村さんは一番セリ子で花形でした。多くの報道陣が取り囲み、全国放送で有名になりました。私の場合、数量は多いのですが報道陣なし、業界関係者のみでした。午前3時30分からセリが始まります。1か月もの間、風呂にも入らず板子一枚、下は地獄の操業をしてきた「ふく延縄船」、セリ人も命がけです。セリが終われば仕切り書が出るまで食堂でカラオケ大会。値段がよければ乾杯、安ければ残念会です。多くの船長で賑わいました。小野は前夜は遅くまでお客様や商工会議所の付き合いがありましたが朝は3時前には出社してセリ場に顔を出し、食堂での接待も欠かしませんでした。生産者あっての魚市場だと常に職員に言っていました。週に1度、宿直がありました。職員が二人一組で夜中の入船、荷受けをするのです。船が多い時には寝ることもできず、翌日の仕事をやり終えてようやく帰宅です。それでも入港船待ちの時間に取り組んだ税理士試験の勉強は能率が良かったです。税理士試験はハングリー精神が大切です。深夜作業、過酷なセリ、荷受作業、生産者と仲卸人の板挟み、それでも魚市場は将来に向けてのビジョンを描き、かじ取りが仕事です。何時も叔父小野英雄が見てくれている、やりがいがありました。