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ふく百話(90)

「ふくと我が人生 9」ふくと税理士と市長

全国で税理士登録者は約7万人おられます。その中で「ふくと税理士と市長」を語ることができるのは広い日本でも私一人でしょう。

ふくと税理士は直接には何の関係もありませんが、ふくにシーズンがあり、閑散期の8月に税理士試験が実施されます。この取り合わせがなかったら私の合格はなかったと思います。仕事が少ない時期の勉強は最高の時間でした。

税理士試験は5科目合格で資格を取得できます。科目合格は一生有効です。

受験のしやすさから過去、たぶん数十万人もの人々が科目合格で終わり、税理士への夢をあきらめたことと思います。かくいう私も合格への道のりは長く、何度も受験を辞めようと思いました。最初の科目、簿記論合格は25歳、4科目を一般試験で合格、残り1科目を東亜大学大学院の修士論文で認定を受け資格を取得したのが52歳です。実に28年間もかかりました。税理士実務につかず魚市場職員として受験したのも珍しいです。

この期間の長さは実務では自慢になりませんが、選挙では売りになるのです。下関商業高校の劣等生が永年努力して税理士資格を取得したのです。税務の仕事ができるか否かよりも、苦労して受験を続けたことが評価されました。

併せて中央大学を通信教育で卒業したことも、通学過程で卒業できなかった負い目よりも政治の世界では苦学したとして有権者の心をつかんだのです。

「継続は力なり」は私の座右の銘です。継続すれば必ず力になる。力になっていなければまだまだ継続が足りないということです。

永年にわたって継続できたのには幾つかの理由があります。私は「自由業」という仕事にあこがれていました。会社員として雇用されるのではなく、自らの意思で自分の職業を成り立たせるのです。自らが使える自由時間も増えるのではという憧れもありました。午前1時からの深夜勤務からも解放されます。今から振り返れば自由業は良いように思えますが、やはり組織に属してチームとして活動するほうが、より大きな力を発揮でき、社会にも幅広く貢献できると思います。最近は税理士業を「税理士法人」という法人組織にして社会の様々なニーズに対応できるチームとすること、そして次の時代へ社員や顧問先のために事業承継もスムーズにするというものが増加しています。

継続のもう一つの理由は、ライバルの存在です。営業ではいつも負ける、先輩がおられました。ライバルには営業センスがあったのです。ふくのセリも互いに気合は入っていましたが、執念を感じました。それで営業で負けるのなら自分は税務・会計・経理で行こうと思いました。単純な経理事務は苦手ですが税理士の資格を活かし、魚市場のお客様、すなわちふく漁業生産者やふく養殖業者の税務・会計、原価計算、経営計画等、実際に魚市場の現場で仕事をしていなければ理解できないことについて、出荷者へのサービスとして業務ができないかと考えました。上司の総務・経理担当常務には3科目合格後から夢を伝えていました。常務からは魚市場として社内に税理士がいるということは名誉なことと思う。協力すると暖かいお言葉を頂きました。

市議会議員時代、議会で市長に様々な質問する機会がありました。私は税理士の勉強を通じて公会計改革の質問をよく行いました。古参議員からは下商を出たくらいの知識で大きなことを聞くなと陰口をたたかれましたが税理士資格を取得してからはなくなりました。県議会議員就任後も公会計改革を県知事に提案し続けました。山口県議会では初めての税理士議員でした。県職員から伺った話では、私の提案がその後の県政に活かされているとお聞きしました。

市長に就任してからは、まず職員に会計の基礎である簿記資格取得を奨励しました。現在下関市は職員3人に1人が有資格者で断トツの日本一です。

市長の仕事では、病院改革、港湾行政、ボートレース、企業誘致、道の駅で地域活性化等、複式簿記の考え方で日本一の成果をあげている事業があります。

全国市長会や官庁関係でも中尾友昭という名前は忘れても、ふくの免許所持者、税理士免許所持者の下関市長として覚えて頂きました。

魚市場職員、市議会議員、県議会議員、市長を歴任させていただき、誰にもできない仕事をさせて頂きました。税理士実務をしている仲間からは中尾さんは政治家として誰にでも経験できない仕事をしたと評価されます。嬉しいことではありますが人生の心残りとして、あれだけ苦労して取得した税理士資格を実務で極めることが出来なかったことは残念です。

今後は税理士という看板は掲げながら様々な経験が語られる簿記学習の講師として、大学等で講義を続け受講生に良い影響を与えられる人間になりたいと考えています。

以下、ふくと簿記について私なりの研究です。ともに紀元前からの話です。

ふくの舞台は日本、簿記会計の舞台は世界です。ふくは縄文時代から人類に食べられていますし、簿記の起源も紀元前から獲物や収穫物の在庫管理(単式簿記の元)に小石を使っていました。およそ半世紀前に食物の百科事典に「布久」という言葉が紹介され、それが「ふく」の語源の一つと言われています。簿記会計(複式簿記)が書物で紹介されたのが大航海時代の1494年(ルカ・パチョリ)のイタリア、その後は産業革命とともにヨーロッパ、イギリス、アメリカへ広がりました。所有と経営の分離の株式会社。蒸気機関、鉄道、自動車産業への減価償却という素晴らしい手法を発明し損益の標準化に成功しました。日本では明治維新。簿記が紹介され経済活動を支えました。

時代は長州派閥、自慢の郷土料理は「下関のふく料理」です。

それまでの「下関ふく」は江戸時代から全盛を誇った北前船で全国へ話が広がっていました。その後、明治、大正、昭和の初期、戦前戦後。下関にご縁のあった多くの先人のおかげで「下関のふく」ブランドが確立したのです。

大正時代、下関から東京へ「ふくの店」を出店した人がおられます。下関からの輸送は氷を入れた二重のブリキ缶、東京でふく料理の店は少なく珍しく、200人以上入る店でも手狭で、廊下まで宴会のお客で埋まったと記録した書物もあります。(ふく百話。中原雅夫、P48)。

ふくは天然物が最高級ですが、現在多くは養殖フグ、それも海面養殖から陸上養殖へと変わり、循環式滅菌海水の時代です。そして時代は22世紀ふく。バイオテクノロジーを活用した新しい時代です。食文化にも変化があります。

一方、簿記会計はといえば500年以上、世界経済を支えているルネッサンスの発明に匹敵する技術ですが世間の評価は古めかしい感じがあります。

原因の一つは、過去会計だからです。すでに終わった取引について記録する技術が簿記です。正確な帳簿記入、税金計算は重要ですが、ふくと同じく簿記会計にも時代の要請があります。すなわち未来計算。経営計画、利益管理です。ふくも簿記会計も古き伝統を大切にしながらも新しい時代に対応する取り組みが求められています。「ふくと税理士と市長」関係のないようで関係のある、中尾友昭ならではのお話でした。