ふく百話(75)
「総理大臣とふく」
歴代総理大臣には「ふく」のファンが多かったと思います。特に山口県出身の総理大臣には郷土の自慢「山口県のふく」を広めて頂きました。初代内閣総理大臣・伊藤博文公が明治20年(1887)春帆楼でふくを食し、提供が禁止されていることを知らされ、全国にさきがけて下関・春帆楼がふく食解禁第1号となった話は有名です。今年は解禁から134年になります。
時代は飛びますが、安部元総理にも「下関ふく」をずいぶん応援して頂きました。不幸にも凶弾に倒れられ、日本中が大きな悲しみに包まれました。国葬に続き、100日が経過した10月15日(土)、下関海峡メッセにて「県民葬」が営まれました。私にも山口県から肩書ナシの「中尾友昭」で案内状が届きました。
市長在任中の8年間、下関市のために親身なって様々な相談に乗って頂きました。元市長として感謝しています。指定されたエリアには元国会議員、元市長、元県議の姿があり懐かしい気持ちでした。時間まで静かに目をつむり。在りし日の安倍総理を偲びました。衆参両議員、海外からも含め、2000人が参列しました。2時間に及ぶ県民葬の中から印象に残ったお話を2つ紹介します。
葬儀委員長を務めた村岡県知事は追悼の言葉の中で知事選挙へ出馬を決断したエピソードを紹介されました。一官僚であった村岡さんに総理官邸にて、山口県を頼むと肩に手を添えられたことで覚悟が決まったそうです。その手のぬくもりは今でも覚えているということです。
喪主の安倍昭恵さんからは「主人は日本のために大きな仕事をさせていただいた。豊かな67年の人生だった。」と涙をこらえながら述べられました。参列者全員が感激したことと思います。
その安倍総理との「ふく」のエピソードです。市長在任時の話ですが、「下関ゆかりの会」というのが毎年2月に東京で開催されます。下関にご縁のある方々をお招きし、市の現状や取り組みを紹介し懇親を深める場です。
この会は例年宮家ふく献上の日に合わせて開催されていました。私が市長辞任後はそれぞれの事情で別の日に行われています。
総理官邸にも下関ふく連盟会長と毎回訪問しました。安倍総理はいつも美味しそうに一口召し上がり、下関ふくの現状について耳を傾けられました。
記録では重さ2・5キロの天然トラフグを試食した安部総理は「プリプリで歯ごたえがある。こうやって食べるのが一番美味しい」と笑顔で語った。
また別の表敬訪問時には大皿一杯に盛り付けられた天然トラフグの刺身を試食したのち「さすが下関の天然物。歯ごたえもあって。味がしみ出て美味しい」と地元の味を絶賛されました。シンガポールなどへのふく輸出について説明すると日本と欧州連合経済連携協定に触れ「こういう繊細で洗練された味だからフランスなどでは、ふくが受ける気がする。」と述べられました。
下関ふく文化読本「ふく」の1ページ目には「私も下関ふくが大好きです。」とふく刺しの大皿を抱えた安倍総理の満面の笑顔が掲載されています。
市長在任中、総理官邸にはよくお伺いし、街づくりについて個別にご指導を受けたこともあります。あるとき、下関ボートレースが全国最下位で低迷しているとき、東京本部から安倍総理が総理大臣杯表彰式出席されるのならSGレース(日本の最高レース)を下関で行っても良いと言われ、それを安部総理に伝えたところ、分かりました。出席しましょうと二つ返事をいただき、100憶円のレースを招致できました。
歴代総理の中では山口県にご縁のある菅直人元総理にも「ふく」で思い出があります。市長就任時は民主党政権でした。政権幹部に山口県出身者がおられ「下関ふく」総理献上が実現しました。東京事務所の発案で随行職員が奇兵隊の姿で参加、私からはふく刺しとふく提灯を献上しました。
菅総理には喜んで頂きました。その記事が地元で紹介され、自民党応援者からは批判を受けました。現職市長が時の政権に様々な要望をすることは当然だと思いましたが、これも「総理とふく」の懐かしい思い出です。