ふく百話(62)
「皇族とふく」
下関ふく連盟は毎年2月、ふくが一番美味しい時期に宮家に献上しています。今年は2月24日に献上されました。34回目でした。萩市見島から長崎県対馬海域の日本海で漁獲された重さ2キロの最高級品を匠の技で菊盛にします。
私の市長時代までは、市長の日程に合わせ献上を行っていました。また、その日の夕方に「下関ゆかりの会」という東京在住で下関にご縁のある方を麴町のホテルに招待し、下関市の近況を報告する行事があります。宮家献上もふく連盟会長より報告します。二次会は麹町の都市センター会館、下関東京事務所にて松村連盟会長と私が引いたふく刺しで盛り上がりました。現在は市長の日程が取りにくいので別々に実施されています。
宮家献上の最初の話は昭和60年(1985)に高松宮宜仁(のぶひと)様ご夫妻が安徳天皇800年式年大祭に出席されたとき、準備されたふく刺しのあまりの美味しさに感激され、その話を案内役の赤間神宮水野宮司が下関ふく連盟会長の小野社長に伝えたことが始まりです。途中、皇族のご不幸などがあり何回か中断がありましたが、現在まで関係者の努力で継続されています。
1回目から天皇陛下と皇太子への献上は認められていません。献上者は下関ふく連盟会長、市長、製造者代表などです。私は市長時代は毎年献上に立ち会いました。日ごろ訪問することのできない宮内庁(皇居内)や赤坂御用地などへも良く行きました。皇居内では全国から応募した奉仕者による清掃活動などもありました。小さな売店があり皇室グッズが販売されています。
献上は各宮家の玄関で侍従にお渡しします。宮家によっては応接間に案内されたり、玄関でたまたまお出かけになる皇族にお会いしたこともあります。
その時、下関からふく刺しの献上のため訪問したことを伝えると、ふく刺しを食べると元気が出ますと、お礼の言葉を言われたこともあります。
市長時代の2015年7月のことです、三菱造船所で国の研究機関の調査船進水式がありました。皇室来賓として秋篠宮佳子様がお越しになりました。
佳子様は初めての宿泊付き公務でした。市長主催の夕食会がありました。参加者は10名、主催は下関市、中尾市長です。貴賓室で佳子様と対面でお食事、お話ができました。緊張しましたが、佳子様は大変可愛らしく、なごやかで光栄な時間でした。いつものように話を下関ふくに引き込みます。下関ふく連盟で毎年、ふく刺しを献上していますが佳子様はお召し上がりですか、とお尋ねしたら幼少の頃から毎年楽しみに、美味しくいただいていますとお話がありました。その後もお話は大いにはずみました。佳代様をお見送りしたパーティー終了後、三菱造船所の社長から、司会、進行、対応がとても良かったと褒められました。佳子様の話を松村連盟会長に伝えました。翌年から秋篠宮家だけ、大きなセットを2つになりました。もしかしたら、皇太子のお宅へも1セット回していただけるのではという思惑でした。
これも市長時代、秋篠宮様が総裁をされている、日本動物園水族館協会の全国大会で下関海響館へお越しになりました。歓迎パーティーではお隣の席で、ふくの話などをさせて頂きました。秋篠宮様は熱心にご質問もされました。
話が袋セリに及び、失礼ながら宮様の指を握り、仕組みをお知らせしました。
周りからは中尾市長は宮様の手を長く握り、一体何をしているのだろうと思われたことでしょう。海響館を館長の案内で見学されました。私が南風泊市場時代に使用していた袋セリ用の「袋」も館長の説明でご覧になりました。見学終了後、館内でも中尾市長の話で盛り上がりましたと伺い、嬉しかったです。その他の宮様にも下関市へお越しの際には「ふく料理」と「ふく談義」でおもてなしをしました。最初は堅かった宮様もお酒が入ると徐々に話が弾み、ふく料理は大変好きです。また自分がボランティア活動で参加している団体の職員から山口県にいくのなら「獺祭」を買ってきて等と頼まれた話もありました。
前回の内容で天皇陛下の呼び名について一部訂正します。昭和天皇はそのままの呼称で良いのですが、平成天皇は「上皇」、令和天皇は「今上天皇」とお呼びします。読者から指摘がありました。