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ふく百話(40)

「ふくと我が人生 4」あこがれの東京へ

勇んで憧れの東京へ飛び出したものの私を待ち構えていたのは厳しい現実でした。スクーリング(通信制の大学では単位の25%を大学に通学して取得する必要があります)が終了したらいよいよ東京一人暮らしです。中野に部屋を借りました。3畳一間、4千5百円。風呂なし、炊事場、トイレ共同。貸間と呼ばれるものです。社会派弁護士になろうと中央大学法学部昼間部目指しましたが第二外国語ドイツ語の単位が半分しか取れず受験資格なし。学力もなくたとえ受験できても論文で不合格だったと思います。3か月で弁護士への夢はあえなく敗れ去りました。いろいろと情報収集する中で税理士試験なら科目合格制度があり段階的に取得できることを知りました。季節は秋から冬へ、冷たい東京の風を体に感じました。貯えも乏しくなり何かアルバイトをと思いました。足が向いたのは仕事に慣れた魚市場です。「東京築地市場」世界一の市場です。半日かけてぐるぐる回りました。恐れを知らず、疲れを知らない青春時代です。市場の中でひときわ大きな看板を掲げた仲卸人店舗がありました。棚1枚が1億円と言われた時代に17枚もの棚があり、築地市場最大でした。会社の名前は三興魚類。事務所を訪ね雇って欲しいと頼みました。事務職員が数十人もいる会社でした。総務課長がどこの馬の骨かも知れない若者によく会ってくれたものだと思いました。私も怖いもの知らず。たまたまこの会社にマグロ部門があり、下関へ送っていたのです。下関の業者から中尾はまじめな男で信用できる若者だから雇ってやってくれと言われたのです。即日採用となりました。希望は「ふく」だったのですが会社にはふくを扱っている部門はなく今後の課題でした。仲卸人が合併して誕生した築地最大の会社でした。私が回されたのは「タコ加工場」。茹でたタコを荷車で売り場に運搬する仕事です。会社は午前3時から10時。下関の魚市場のように24時間荷物が入る卸と異なり、東京では労働者の権利が強いなと思いました。仕事が終われば築地から歩いて有楽町へ、それから電車で神田の大原簿記へ通学しました。簿記とともにソロバンコースを受講。電卓はまだ普及していません。やればできるものであれだけ苦手意識のあったソロバンは1か月で日商3級、3か月で2級に合格しました。築地市場では朝の仕事が終われば暇になります。私はふくに興味があり探しました。「除毒所」というところがあり市場で購入した「ふく」を業者がその場所でミガキにするのです。都内では内臓の保管、処理が厳しいので合理的な施設です。そこへ私は飛び込みました。下関のふく市場から来たということで親切にしていただきました。業者のふく解体の手伝い、道具洗い、掃除等、なんでもボランティアで手伝いました。気に入られ、自分の店に来て欲しいという業者もおられました。

次の出会いもありました。東京から下関の畑水産に修業に来ていた佐々木豊さんという方がおられました。店にいるときたまたま通りかかりました。会社のお客でした。いろいろお話した中で、新小岩という町ですし屋をしている。今度遊びに来てくださいという話になりました。東京都のふぐ調理師免許は持っているがふくは取り扱ってなくカウンター10席、奥に小部屋が一つ家族経営の小さい店でした。そこで週末アルバイトしました。土曜日に泊まり込み仕事、日曜日は午前中20キロの玉子を2台のガスコンロを使って一人でだし巻き卵を焼くのです。回数をこなせば慣れたものでした。その後の仕事は、シャリ切です。1升炊きのガス窯で10回くらい炊きました。出前の多い店でした。それが終われば皿洗い。店の名前は「大漁」。その後、都内にふく専門店を3店舗も出し、広い東京で自分が一番「活ふく」をもっていると自慢されていました。毎年ふく供養祭で再会するのが楽しみでした。残念ながらお亡くなりになり今はお姉さんとご子息がそれぞれ店を守っています。

いろいろなことをしているうちにあっという間に1年が経過しました。

タコ部門の社長からは、ふぐ調理師試験の試験委員をしているので受験するときには声をかけてくれと言われました。格別の取り計らいがあったかも知れませんが、勤務年数が足りず受験資格はなかったです。また、自分の姪と見合いしないかと言われ、あのままいたら今頃は東京の人になっていたかも知れません。東京へ飛び出した目的を忘れかけていました。下関のふくも忘れていました。

続けていた通信教育で教養科目が終了、受験資格ができました。大原簿記学校税理士コースへ進みました。税理士試験は5科目。簿記論、財務諸表論は必須、税法3科目合格で税理士となれるのです。東京では4科目の基礎的学習をすることができました。築地市場を辞めて板橋へ引越し。不動産鑑定士に合格した親友の稲田君の下宿、大和荘という貸間です。毎週の中央大学ゼミ参加。勉強2時間、懇親会3時間。仲間との登山。辞めても市場の先輩から連絡があり、時々ふく処理に呼ばれました。このときも「ふく」に助けられました。地域の青年グループとの交流もあり、まずしかったけれど充実した東京生活でした。

一応の基礎勉強はした。そのままだらだらと東京暮らしも区切りがつかない。故郷へ帰ることとしたのです。東京へ出て3年目の秋でした。

お知らせです。2月9日は「ふくの日」でした。今年は南部町の恵比寿神社で神事のみでした。恒例の南風泊市場でのイベントは2年連続中止。来年をお楽しみに。下関ふく連盟の郷田会長によると1月に入り日本海側でもトラフグ漁が好調とのことです。例年であればマフグのシーズンですがもうしばらくかかりそうです。ふくの日に合わせ学校給食ではふく鍋が提供されました。

山口宇部空港ではふくシーズンに合わせ300個の「ふくちょうちん」がお客様をお迎えしています。今月末迄です。