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ふく百話(21)

「古川薫先生とふく」

古川薫先生は「漂泊者のアリア」(世界的なオペラ歌手 藤原義江の生涯)で直木賞を受賞された郷土を代表する作家です。残念ながら2018年ご逝去されました。その古川薫先生は「ふく」が大変お好きでした。小野英雄とも交流が長く、先生が有名になられる以前からの付き合いでした。私はそのご縁と、叔父の元下関税務署長の鮎川清(鮎川義介の末孫です)が先生の奥様、森重香代子さんが主宰する短歌の会の事務局をしていた関係もあり親しくさせて頂きました。

平成17年の市長選挙は2500票差で落選しましたが、選挙戦に入る直前に先生から「中尾さん、あなたは今、戦場にいるのです。」と言われました。

その時はあまりピンと来ませんでしたが、あの時の先生の言葉「戦場」をもっと深く噛みしめていれば状況が変わっていたかも知れません。市長に当選した時に先生から高杉晋作の国を憂う、漢詩をいただき掛け軸にして選挙戦で使わせて頂きました。市長に就任してからはお会いする機会も多く、よくお話しました。ふく談義で先生に「ふくの魅力」を尋ねたらいろいろあるが、中でも毒のある魚が「食文化の華」と言われるところが人々を引き付けると答えられました。

「ふく百話」を執筆するにあたり古川薫先生を紹介したいと思い、資料を整理しました。「ふく百華」というふく料理を紹介した素晴らしい豪華本があります。製作者は南風泊市場、平越商店の先代社長、平尾光司さん(故人)です。全国を代表する大手ふく問屋のかたわら、小野英雄とともに下関水産界における芸術・文化の顔でした。南風泊水産加工団内にふく料理体験施設「ふく楽舎」も建設されました。「ふく百華」は平尾光司さんのふく集大成の本です。料理人は「ふく名人」の西山正己さんです。この方は私のふく料理の師匠です。企画出版は大丸百貨店です。この「ふく百華」の巻頭言に古川薫先生の話が掲載されています。

「下関では、この魚のことを「ふぐ」と濁らず「ふく」と呼ぶのが正しいと、みんな考えている。いつだったか、河盛好蔵氏(かわもりよしぞう、著名なフランス文学者、評論家)を下関へ迎えたとき、この話がでた。「ふく」を清音で呼ぶのは、わが国最古の分類体漢和辞典「倭名類聚抄」(わみょうるいじゅうしょう)が「布久」と字訓していることで裏付けられ、これを「福」につないで文字通りの海の幸とするのだ、などと私は得意に説明したものだった。「そのころは濁音符を表記しなかったからじゃないかな」と河盛さんはニヤリと笑ったが、それ以上の発言はなかった。本場の下関でそう信じているのなら、あえて異論を立てることもあるまいと思われたのだろう。少し気になったので「本朝食鑑」(島田勇雄訳注)調べてみた。これには「布久」(ふぐとよむ)とルビを付し、あくまで濁っている。やはり河盛さんのいうとおりで「倭名類聚抄」を盾に「ふく」の正当性を主張するのは遠慮しておいたほうがよさそうだ。」

この記述を読むと「倭名類聚抄」での「ふく」は誤りと言えます。しかし今後も地元として遠慮しないで使います。語源として第一に紹介したいのは第一回で紹介した「朝鮮語起源説」です。すなわち、ポゴ、ポク、ホク、フクです。

古川薫先生との思い出をもう一つ紹介します。

先生がご逝去される2年前、市長室にご夫妻でお見えになりました。先生からサインのある手作りの紙箱を手渡されました。箱には「砂時計の宇宙へ」と書いてあり中に3分間の砂時計が入っていました。先生の文章が3枚ありました。

要約すると、わたしが「時間とは何だろう」といったことを考え始めたのは70年くらい前のことです。「アウグクティヌスの時間概念」を読んでからです。時間の実体は見えませんが、それを可視的に説明したのがアウグクティヌスの砂時計でした。過去・現在・未来を目に見せてくれるのが砂時計です。ことし90歳を迎えたわたしが痛切に悔いるのは、いかに時間の無駄使いをしたかということです。まあ理屈はともかく時間を大切にしましょうという呼びかけの意味もこめて、この砂時計の小箱を私の形見として中尾市長に進呈します。古川薫。

私はこの砂時計を毎朝、仏壇に向かい読経するときに使っています。

「時間はいのち」という古川薫先生の遺言を胸に刻んで。